延命寺の概要Enmeiji's Overview
小倉城東北鬼門に位置する東北山延命寺。
その起源は数百年に及び、古くから多くの参拝者で賑わってきた。
境内には金剛力士像を始め、多くの仏像・石碑が祀られている。
仏像Butsuzo
金剛力士像
当山にある石造仁王像二体は、延命寺が現在地に再建された大正3年(1914)に安置されたものです。
この仁王像は、大分県豊後高田市(国東半島の北西部)にあった夷石工衆の法橋寄伯・板井甚蔵の子息、貞四郎(法橋国光)と門人である城前石工の土屋善三郎定勝が、文政4年(1821)に故人の遺志により作られたものです。
※法橋(ほっきょう)とは、中世・近世に僧侶に準じて仏師・絵師などに与えられた称号。
※文政の時代とは、江戸時代後期で第十一将軍徳川家斉(いえなり)治下の文化・文政年間(1804-1830)を中心とした時代。
六地蔵
人間は生きている間の行いによって、次の世界に生まれ変わると言われています。それが仏教の説く、「六道輪廻」です。六道とは、人々がこの世で行ったそれぞれの行為の報いとして、死後に必ず行かなければならない世界、つまり・・・
「地獄道」悪行を重ねた者が死後にその報いを受ける世界。
「餓鬼道」欲深かったものが死後に行く世界。飲食も出来ず、飢えと渇きに苦しむ。
「畜生道」悪行の多いものが、死後に人間以外の生き物に生まれ変わって攻めを受ける世界。
「修羅道」怒り・たかぶり・疑いといった性質のものが、死後にここに落ちて争いをする世界。
「人間道」人間が住む世界。
「天上道」人間界の上にあって、最も優れた果報を受けた者が住む世界。
この六つの世界を言います。
お地蔵様は、お釈迦様が亡くなられて次の仏陀として弥勒菩薩がこの世に降りてこられるまでの間、お釈迦様の化身として、六道全てを救う任を命ぜられ、そこで悩み苦しむ人をお救いになっておられます。その姿をそれぞれ六体の尊像に表したものが、六地蔵尊です。
お地蔵様は一番身近な仏様として昔から全国で親しまれています。愛らしいお姿はいつの世も人々にやさしい心を植え付けて、この世の苦悩を消してくださいます。
水子地蔵
水子地蔵とは、妊娠中に亡くなってしまった子供や生まれてから1年以内に亡くなった赤ちゃんの霊を祀るための地蔵です。
子供を抱いている地蔵は子安地蔵ともいい、子授けや安産の祈願のために多くの参拝者が訪れています。
石碑Sekihi
榊姫記念巌
榊姫は平重盛の二男資盛の娘で「榊内侍」と呼ばれ、安徳帝に仕えた。
寿永二年(1183年)資盛は越中国砺波山で、木曾義仲に敗れ討ち死にした。
以来榊姫は都を追われた平家一門とともに九州に落ち、太宰府、遠賀郡山鹿城(芦屋町)、豊前柳ヶ浦(門司区)大里へと帝を供奉してきたが、不幸にも帯下の難病にかかり、老女と共に長浜の海女の粗末な家に伏す身となり、「私は死後榊に宿り帯下に悩む人々を救わん」と言い残して世を去り、長浜の東の高浜に葬られた。その後は、「帯下の病に悩む人、榊姫に祈願すれば霊験あらたかなりと聞く」。
榊姫神社があったところは、私鉄の小倉鉄道が大正二年から高浜海岸を埋め立て、石炭積出の貯炭場と石炭積込場にするための工事を始め、大正三年工事を請け負った小林徳一郎が、榊姫の霊を弔うため、敷地内の岩石にて記念巌をつくり、延命寺に寄進した。
境内の記念巌の表には「榊姫記念巌」、裏には「大正三年十月 小林徳一郎にこれを建てる」と刻まれている。