延命寺についてAbout Enmeiji
北九州・小倉の地。
小倉城から見て東北、すなわち「鬼門」の方角に位置する延命寺は、古くより城と城下町を災いから守る要として静かに佇んでまいりました。
日常の音と隣り合わせの場所で、己を見つめ直す「禅」の時間。
ここには、忙しい日々の合間に心を整える、開かれた祈りの場があります。
歴史と由緒History
開創と起源
当山の起源は古く、平安時代の延暦21年(802年)に遡ります。
伝教大師・最澄が入唐の際、航海安全を祈願して諸方の霊跡を巡拝。その途中、豊前国下毛郡にて霊夢を感じ、山下に寺を建てて大菩薩を安置したことが始まりと伝えられています。
その後、九百年の歳月を経て一時荒廃しましたが、その法灯は静かに守り継がれました。
小倉城「鬼門」の守りとして
江戸時代の正徳元年(1711年)、小倉藩二代藩主・小笠原忠雄公が、名僧・霊済和尚の願いを受け、廃絶していた古刹を再興しました。
小倉城の東北(鬼門)にあたる赤坂山上に大伽藍を創建し、「東北山 延命寺」と命名。「城と城下町の守り」として、藩主より三百石の寺領を賜る祈願所として栄えました。
当時、赤坂山からの眺望は「領内第一の絶景」と称され、文人墨客にも愛された場所でした。
戦火を超えて、現在地へ
幕末の慶応2年(1866年)、長州藩との激しい戦い(小倉戦争)の兵火により、赤坂山の大伽藍は惜しくも焼失しました。
しかし、焼け跡に残された観音堂の仏像は大切に守り継がれ、明治・大正期を経て、現在の地(上富野)にて本堂を建立し復興。
黄檗宗の禅寺として、その歴史を今に伝えています。
境内の石仏・石碑Statues & Monuments
境内には、人々の信仰を集める多くの石仏や、
歴史を物語る石碑が安置されています。
仁王像(金剛力士)
山門を通る際、両脇で睨みをきかせているのが仁王像です。口を開けた「阿形(あぎょう)」と口を閉じた「吽形(うんぎょう)」の一対で、寺院内に仏敵が入るのを防ぐ守護神としての役割を担っています。
六地蔵尊
「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六つの世界(六道)のすべてにおいて、悩み苦しむ人々を救うお地蔵様です。赤い前掛けは、幼子の命を守る慈悲の心の表れでもあります。
水子地蔵尊
この世に生を受けることの叶わなかった小さな命や、幼くして亡くなったお子様の魂を優しく抱きとめ、導いてくださるお地蔵様です。親御様の想いを受け止め、安らかな冥福を祈ります。
記念石碑・句碑
境内には、延命寺の歴史や由緒を記した石碑のほか、小倉の文人たちによる句碑などが点在しています。先人たちがこの地で何を想い、何を願ったのか、静かに語りかけてくれます。
黄檗の教え
Obaku Zen「自己の究明」
臨済宗、曹洞宗とならぶ日本三禅宗のひとつ、黄檗宗。
江戸時代初期、中国の隠元禅師によって伝えられたその様式は、儀式作法から精進料理(普茶料理)に至るまで、明朝時代の伝統を色濃く受け継いでいます。
太鼓や銅鑼などの鳴り物を用いた音楽的な読経「梵唄(ぼんばい)」が響く中、隠元禅師が説かれた「己躬下(ききゅうか)の事を究明する(自分自身がどう生きるかを問い続ける)」という教えに向き合う。
己の内面を深く見つめ直すその時間は、現代を生きる私たちに心の静寂をもたらします。